シェションク1世(22王朝)による、ブバスティスの門。 ラムセス3世(20王朝)の小神殿入口。 遺跡
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カルナック神殿
《第一中庭〜第二塔門》
手元に、いい写真がなかったので、「Osiris Express」さんよりお借りしました。
第二塔門手前には、片足を踏み出したラムセス2世像が2体ありましたが、現在では1体は足の部分しか残っていません。
これらの1対の像の手前には、ラムセス2世の3体目の像がありますが、後の時代にラムセス6世(20王朝)&ピヌジェム1世(21王朝)に
よって横領されてしまいました。ちなみに、この3体目の像の足の間には、ラムセス2世の王女ペントアンタの立像がありますが、
ピヌジェム1世の妻ヘヌートターウィによって奪われてしまいました。
それにしても、ナゼ3体作ったのでしょうかね? 通常2体が普通かと思うのですが。。。。
腰の名前は、ピネジェム1世の名前に書き換えられています。
2体あった、片足を踏み出したラムセス2世像のうちの1体。
第一中庭の中央部には、タハルカ(25王朝)のキオスクの遺構があります。
本来は10本のパピルス柱と、それを結ぶ低い仕切壁から成っていたらしいのですが、現在では完全な形の柱は、たったの1本、
残っているにすぎません。
第一中庭南側を
眺めたところ。
聖船を納めるための小神殿で、メディネトハブにある
ラムセス3世葬祭殿の縮小版って感じです。
第二塔門がまだ神殿入口だった時代には、現在第一塔門前にあるスフィンクス参道は第二塔門まで続いていました。
神殿が第一塔門まで拡張された時に、第一中庭あったスフィンクスは、第一中庭の西側に寄せられたらしいです。
ツタンカーメンの特徴を示す、スフィンクス像。第一中庭の真ん中に展示されています。
第一中庭入って左手(北側)には、セティ2世による、聖船を納めるための小神殿があります。
左から、ムト、アメン、コンスの聖船を納めるために使用されたようです。
セティ2世の名前が見えます。
第二塔門は、ホルエムヘブの治世に着工されたらしいですが、セティ2世の治世に完成したようです。
この第二塔門の中は、イクナトンがアメン神殿の東に建てたアテン神殿に使用されていたブロック(タラタート)が埋められていました。
塔門に描かれている、テーベの三柱神に捧げものをする王のレリーフはプトレマイオス時代に追加されたらしいです。
第一中庭の北東には、発見されたブロック等が展示されています。
イクナトンのカルトゥーシュと、
前期アテン神名を発見!! これ、結構、感動でした!!!!!
トトメス3世のオベリスクの一部。
絵の上には、天(ペト)というヒエログリフが描かれているのですね。
第一中庭、北東に並べてある、発掘されたブロックは、かなり見ていて楽しいです。
うっかり、通り過ぎないように(ってか、入口からまっすぐ進んでしまうと、通り過ぎもしない。。)注意です!!
このページを作成するにあたり、主として「図説 古代エジプト2
「王家の谷と神々の遺産」篇」「古代エジプト神殿大百科」を参考とさせていただきました。