《ツタンカーメンの黄金の玉座》
このページの写真は一番下のものを除き「Keizo's Home さんよりいただきました。
一番下の写真は
Osiris Expressさんより いただきました。


Keizo's Home

左の写真はツタンカーメンの玉座の背もたれの部分です。
通常の説明は以下のようなものでしょうか。
@ツタンカーメン王にアンケセナーメン王妃が香油を塗っている場面。
A王と王妃は仲がよかった。その証拠に1足のサンダルを2人で
片方ずつ履いている。

しか〜し! アマルナ時代の名残を探すという見方をすると次の点も
楽しめます。
@もともとはパピルスとロータスの形をした柱が天蓋を支え、
その中に王と王妃がいる場面だった。しかし、後で天蓋の一部が
消されてアテン神が加えられた。
そのまた後で、王と王妃に冠が描き加えられたため、アテン神の
光線も一部消された。
Aアテン神の左右にはアテン名が書かれているが、
後期アテン名
である
Bツタンカーメンの左側にはツタンカーメンの名前が書かれているが
改名後の「ツタンカーメン」の名前が書かれているっぽい。。
C一方で、右側のひじ掛けの外側には改名前の「ツタンカーテン」の
名前がかかれている(下の写真)。しかし左側のひじ掛けの内側には
改名後の「ツタンカーメン」の名前が書かれています。
D背もたれ後ろ側(外側)には、ツタンカーメンの妻、アンケセナーメン
の名前も「アンケセパーテン」となっている。
http://www.griffith.ox.ac.uk/gri/gif-files/Ross_photo_0052.jpg
E背もたれに描かれているツタンカーメン自体、おなかの部分が
ふっくらと描かれていて、アマルナ美術の影響を受けているように
見える。
 
→こんな感じで、この玉座はアマルナ時代の影響を大きく受けている
ことが分かります。
ツタンカーメンはエジプトの主神をアテン神からアメン神に戻した王
なのに、なぜアテン神の描かれた玉座がツタンカーメンの王墓に埋葬
されたのか?
しかもひじ掛けの名前は右外側は改名前のものなのに、左内側は
改名後のものなのか??
しかも背もたれ部分のツタンカーメンの名前は改名後のもの。。
改名前と改名後の名前が混ぜ混ぜ……な〜ぜ?!?!?!? 
こんな風に考えながら展示物を見ると楽しみが増えませんか??
        拡大写真→
         
Keizo's Home


    
Keizo's Home

ひじ掛けも凝ってますねぇ。。上下エジプトを象徴する二重冠(この写真では冠部分は切れてしまっていますが)をつけたコブラが羽を広げていますが
その中に上下エジプト王名(ネスウト・ビト名)が見れるほか、カルトゥーシュの下には黄金(=永遠を表していたらしい)の文字(ネブウ)が
描かれていますし、羽の中にはこれまた永遠を象徴する「シェン」か描かれています。
そしてコブラが乗っているネブという文字は数種類の石でキレイに装飾されています。

            

 
Osiris Express

玉座の下の部分をよくよく見てみると、穴が幾つかあいています。
玉座の背もたれに描かれているような感じで、セマァ・タァウイ(※)の形をした
飾りが、玉座の下にはついていたのでしょうか?

(※)セマァ・タァウイ……
統一を象徴するセマァという文字に、上エジプトの象徴ロータスと下エジプトの象徴パピルスを
結びつけて、上下エジプトの統一と安定を表したもの。
 
 

このように、じっくり、じっくり見ていると、1つの展示物だけでかなりの時間楽しめちゃいますね。
 
最後に・・・。。
1番上の写真を見たとき本当に感動しました!!なぜならば、考古学博物館で玉座を見たときに、照明の光が黄金に反射していてどの角度から見てもアテン名が前期の
ものか後期のものか分からなかったのです。。なので、この写真、ホントに感動でいっぱいです!
はっきり分かりますもんねぇ。。。しかも背もたれのカルトゥーシュには「アメン」の文字らしきものが見える! この玉座、見てて飽きないですね。 
写真をお貸しくださいました、「Keizo's Home」さん 本当に×2、ありがとうございました。

このページを作成するにあたり主として「
カイロ・エジプト博物館 ルクソール博物館への招待」を参考にさせていただきました。 

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