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メイドゥーム                               

《真正ピラミッド》
●作った人:フニ王が着工し、スネフェル王が完成させた。
●年代:古王国(第3王朝〜第4王朝)
●本来の高さ:92m、現在の高さ:64m。 
右の図は真正ピラミッドの建築過程を描いたものです。
@当初は7段のピラミッドだったと言われています。
Aその後8段のピラミッドとなり、いったん石灰岩の化粧石で
    表面が覆われました。
Bまたまたその後、息子のスネフェル王により、階段の部分に
    石を積んで、真正ピラミッドになりました。
スネフェル王は3つのピラミッド(真正ピラミッド、屈折ピラミッド、赤のピラミッドを完成させており、この3つの
ピラミッドについては以下のような説がよく言われています。
T.メイドゥームの真正ピラミッドは、真正ピラミッドにする過程で、角度が急であったため倒壊した。
U.そのため、同時に建設中であった屈折ピラミッドの角度を変更した。
V.これらの経験を生かして作ったのが、赤のピラミッド。。。。

しか〜し!!、がれきの下に埋まっている葬祭殿(真正ピラミッドの東側のふもとに作られた)からは、
新王国時代に多数の訪問者の落書きの後が残っているそうです。
また、このピラミッドの北側と西側には古王国からギリシア・ローマ時代のお墓が残っているそうです。
この時代、ピラミッド複合体に隣接してピラミッド都市が建設され、ピラミッド複合体の管理や神事が行われて
いました。つまり、ピラミッドは放棄されず、ピラミッドを管理するための都市がピラミッド周辺に建設されたと
言えます。
ということは、メイドゥームの真正ピラミッドはいったん完成し、後の時代になって倒壊したと言えると思います
(つまり、建設作業中にピラミッドが倒壊したとする、上の説は否定されてしまう訳です。。)

このピラミッドを訪問した際には、ガイドさんがどのような説明をするかに注目ですね!
(なお、スネフェルは上記3つのピラミッド以外に、セイラにも小さいピラミッドを作っています)
    
 真正ピラミッド内部です。
    
急な階段をおりて、垂直に立てられた、はしごを上ると玄室にたどり着きます。
玄室の天井は持ち送り積み式で作られており、重力が軽減されるようになっています。
この持ち送り積み式の天井も注目したいのですが、もう一つ注目したいのが、古代の支持木材が天井に見られること
です(右上の写真)。
     
  
真正ピラミッドを外からみたところです。
いったん完成しただけあって、壁面がきれい!
つい、ウットリしちゃいました。。。
 
最初の階段ピラミッドの段階ではネチェルケトのピラミッドと同様に石を
ピラミッドの中心に向けて積み上げ、最後の真正ピラミッドの段階では石は
水平に積み上げているとのことです。
 
上の写真からは、ピラミッドの石がぎっしり積まれていることがわかります。
最後に、このピラミッドで注目すべき点をもう一つ!
葬祭殿(というか礼拝堂?)が初めてピラミッドの東側に作られるようになり、そこから参道がのびていたとのことです。
もしかすると、参道の先には河岸神殿があったのでしょうか?
また葬祭殿(礼拝堂?)が従来のピラミッドの北側→東側につくられるようになったことから、このころから太陽信仰が
盛んになってきたのかも知れません。
なお、この礼拝堂には2つの石碑が建てられていますが、何も書かれていません。このピラミッド自体が未完成ということ
だったのでしょうか?


《17号マスタバ》
真正ピラミッドの北東には大きなマスタバがあります。せっかくメイドゥームまで来たのであれば是非是非入って
みてください。あ、このマスタバに入って玄室までたどり着くには、腰をかがめる程度では無理です。
一部狭い通路をはいつくばって通る必要があります。。
誰のお墓かは不明です。一説ではフニ王のものとも言われています。
玄室には花こう岩の石棺があり、古代の石工の木槌が半分開いた蓋と棺の間にまだ挟みこまれています。↓↓↓
     

《ピラミッドの北側》
ピラミッドの北側には、いろいろな石棺があります。
現地のガラベイヤを着たおっちゃんは、ローマ時代の石棺と言っていましたが、事実はどうなのでしょう?
      
上の、真ん中の写真の石棺にはたくさんの神様が描いてあります。
私のだ〜い好きなアヌビスもいます!(右上)
左の写真にはホルス君やセクメトさんがいます。  

このページを作成するにあたり、主として「ピラミッド大全」「図説ピラミッド大百科古代エジプト史料館」を参考とさせていただきました。

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