セティ2世の像です。 遺跡
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カルナック神殿
《大列柱室〜第三塔門》
第三塔門側から見た、大列柱室(写真はOsiris
Expressさんよりお借りしました)。
大列柱室は、オベリスクと並んでカルナック神殿の目玉です。
見所としては、
@ただ、ただ、大きい134本の柱。。。。ずっと見上げていると首が疲れます。。。
A列柱室のまわりの壁画。セティ1世(北側)とラムセス2世(主に南側)が装飾していますが、 セティ1世の方が丁寧に作られています。
大列柱室には134本のパピルス柱があり、中央の12本は開花式(高さ、約21m)、まわりの122本(北側・南側にそれぞれ61本づつ)
は閉花式(高さ、約15m)となっています。
この列柱室には本来、屋根があったため薄暗くなっており、パピルスの生い茂った原初の沼地を表していました。
今でも明りとりのための高窓を見ることができます。
柱には、まだ色が残っています。
ラムセス2世のカルトゥーシュ
セティ1世のカルトゥーシュ
この大列柱室はアメンヘテプ3世が着工しましたが、装飾はセティ1世&ラムセス2世によりなされているため(完成させたのはラムセス2世)、セティ1世による装飾とラムセス2世による装飾の違いを観察すると面白いです。
壁画には、神々と交流する王の姿、日常の祭儀や行列の場面、神話の場面などが描かれています。
《セティ1世によるレリーフ》
《ラムセス2世によるレリーフ》
大列柱室には、王の像も展示されています。
状態はよくないですが、ラムセス2世の名前は残っています。
側面には、セティ2世の妻である
タカト2世が描かれています。
セティ2世の奥さん=タウセレトが有名ですが、
セティ2世には少なくとも3人の王妃がいたらしいです。
@タカト2世。
Aタウセレト。
Bティアア
。
ティアアとセティ2世との間に生まれたのが、
セティ2世の後に王となるシプタハです。
像の背面。
大列柱室外側にも壁画が描かれています。
南外壁の東側には、ラムセス2世によるカディッシュの戦いの場面が描かれています。
また、第7塔門と大列柱室をつなぐ壁の西外側には、カディッシュの戦い後に締結された講和条約(不可侵条約)が刻まれています。
カディッシュの戦い後に締結された講和条約(不可侵条約)
大列柱室の南外壁にはセティ1世によるシリア・パレスティナにおける戦勝を記念した浮彫りがなされています。
東側には、パレスチナから凱旋し、エジプトの前哨地にある要塞へ到着するセティ1世ご一行の絵が、
西側には、セティ1世の戦いの場面、セティ1世が神々に寄進している場面が描かれています。
大列柱室南側外壁より大列柱室を見たところ。
大列柱室の南外側の風景。
第3塔門は、アメンヘテプ3世によって建設が開始されました。
この第3塔門からは、たくさんの再利用された石材ブロックが発見されており、現在は、
野外博物館に復元&展示されています。
第3塔門自体は、アメン神の聖船のレリーフで飾られています。
このあたりは、カルナック神殿のハイライトということもあり、見所いっぱいです。
ただ、柱を見るにせよ、壁画を見るにせよ、基本的にずっと上を見上げている状態なので、かなり首が痛くなります。
ゆっくり、休み休み見学しましょう。第列柱室には、太陽がガンガン照りつける時間帯でも、どこかしら日陰ができているので、
プチ休憩にはもってこいだと思います。
外壁にもレリーフがたっぷりあるので、見忘れないように注意です!!
このページを作成するにあたり、主として「図説古代エジプト誌 古代エジプトのファラオ」「古代エジプト神殿大百科」を参考とさせていただきました。